FJ時事新聞 社長 江東良一 外国人に人気の「ジャパニーズウイスキー」
国税庁のデータによると、平成29年(2017年)におけるウイスキー等の国産酒類の輸出金額と数量が、いずれも過去最高を更新したとのこと。
この背景には、世界の酒類競技会において日本産ウイスキー等が欧米の数々の賞を獲得し、海外での日本産の品質評価が高まったことや、近年世界的な和食ブームにより海外で増加した和食店で国産酒類が多く飲まれ出したことが挙げられよう。
また、インバウンドの取り込みをはかるため、酒蔵や蒸留所を巡る外国人向けツアーも多数企画されており、日本への旅行をきっかけに国産酒類ファンやマニアといった愛好者が増加したことも国産酒類輸出増加に一役買っていると推察される。
こうした追い風を直接受けているのが、大阪府島本町にあるサントリー山崎蒸留所だ。
サントリー山崎蒸留所は、有料ながらも見学可能で、平成20年(2008年)から英語、中国語、フランス語に対応するイヤホンガイドを順次導入し、当初は1%以下だった外国人見学者の比率が、現在はおよそ30%近くにまで急増したとのこと。
FJ時事新聞 社長 江東良一 |
サントリー 山崎蒸溜所(サントリーHPより引用)[/caption]
「ジャパニーズウイスキー」のきめ細かな味わいや、酒通(さけつう)でなくても飲みやすいところが海外でも評価され、今やオークションで定価の数倍もの値段で取引されている。
東京オリンピック、和食に続き、国産酒類もインバウンド効果を期待できる頼もしい存在となったようだ。
■サントリー 山崎蒸溜所
https://www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/
■山崎蒸溜所ツアー(有料)
https://webapl.suntory.co.jp/factory/yamazaki/course/c__00010/?LISTFLG=1
■見学コース一覧
https://webapl.suntory.co.jp/factory/yamazaki/
■[公式ブログ]サントリーウイスキー蒸溜所ブログ
http://yamazaki-d.blog.suntory.co.jp/
FJ時事新聞 社長 江東良一 発電機要らずのUSB充電式LED自転車ヘッドライト
自転車を頻繁に乗る人の中には、夜道を走るのにヘッドライトを点灯するのが億劫な人は多いはず。
点灯用発電機の軸をタイヤに接触させると、ペダルが重くなり、自転車の推進力が減少するからだ。
かといって無灯走行は交通ルール違反になってしまうため、どうにかならないものかと筆者は前々から思い続けていたものだが、インターネットにて「usb 自転車 ライト」で検索してみたら、なんと発電機要らずのUSB充電式LED自転車ヘッドライトがしこたま出てくるではないか!
一度USBケーブルで充電してしまえば、数十時間は保つし、万一走行中にバッテリーが切れたとしても、ポータブルバッテリーとケーブルで繋ぎ、ライトを点けることもできるし、何よりもペダルが重くならずに済むのが非常にありがたい。
従来の乾電池式ヘッドライトはランニングコストがかかる上、乾電池を買う手間が面倒だったが、その煩わしさからも開放されるので、乾電池式ヘッドライトを使用している人や、発電機式ヘッドライトを使用している人は、ぜひこのUSB充電式LED自転車ヘッドライトに乗り換えてみよう!
FJ時事新聞 社長 江東良一 地下鉄の乗り換えは必ずしも便利ではない!? ~東京地下鉄事情~
地上を走るJR線、私鉄各線、都バス以外にも、東京メトロ、東京都営地下鉄といった地下を縦横無尽に走る地下鉄もある大都市・東京。
SUICAやPASMOを持っていると、なおさらこれら交通機関相互の乗り換えがスムーズになり、東京の街と街の行き来が大変楽になる。
しかし、この便利さは場合によっては不便な場合もあるのだ。
結構乗り換えに詳しい人ほど、これから書くことが盲点だったりするので、実際の地図や距離を念頭に置きながら、東京の街や駅の移動をすると良いかと。
【交通機関による乗り換え移動よりも徒歩移動が便利なケース】
1.東京駅-日本橋駅
日本人でも東京以外の地方から来た人が知らないがゆえに嵌ってしまうのが東京駅-日本橋駅の往来だ。
東京駅と日本橋駅は距離的にはせいぜい500mくらいなので、歩いても10分もかからない。
しかし、東京駅と日本橋駅が距離的にそんなに近いことを知らなかったり、逆に乗り換えに詳しいばかりに、東京駅から東京メトロ丸ノ内線に乗り、大手町駅で東京メトロ東西線に乗り換え、日本橋駅で降りてしまう人も実際にいたりするのだ。
大手町駅の乗り換えは、かなりの時間をロスするし、地下鉄の待ち時間も考慮すると、どう考えても電車賃をかけてまで地下鉄で日本橋駅まで行く必要はない。
徒歩移動の方がはるかに早いし、乗り換えの煩わしさからも開放され、ストレスなく移動できることだろう。
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2.有楽町駅-東銀座駅
歌舞伎座の最寄り駅が東銀座駅で、歌舞伎座のほぼ真下にあることから、つい地下鉄で行こうとする人がいるのだが、有楽町駅からまず日比谷駅まで乗り換えのために徒歩で移動し、それから日比谷線で東銀座駅に降りるのは、むしろ面倒くさい。
有楽町駅から日比谷駅まで歩くのがそもそも方向的に歌舞伎座とは反対の西方向なので、どうせなら有楽町駅から東方向に歩き、そのまま歌舞伎座を目指す方が煩わしくないし、時間的にも大して差がないのだ。
3.恵比寿駅-代官山駅
これまた徒歩の方がメリットがある区間だ。
近年、東京の中ではかなりおしゃれなエリアの恵比寿・代官山は、風景を見ながら移動すべきだ。
街を知ることができるし、隠れ家的な店を発見できるかもしれないし、男性ならば何よりも美女を多く目にすることができるのが、この恵比寿駅-代官山駅の徒歩移動なのだ。
これまた地図を見ていないと、恵比寿と代官山が隣り合わせというのがわからないから、恵比寿で降りないで、そのまま渋谷駅に行き、東急東横線に乗り換え、1駅だけの乗車で代官山駅に降りるという、これまた煩わしく面倒な移動をしてしまう人が多いのだ。
時間的にはこの区間も1.、2.と同様に渋谷駅乗り換えによる移動も、恵比寿駅からの徒歩移動も大して差がない。
こんな具合に、結構東京では街と街、あるいは駅と駅、さらには街と駅は近かったりするので、地図をしっかり見て、電車・地下鉄等を乗り換えてまで移動するに値する区間かを検討した方がよいだろう。
実際に歩いてみると、様々な発見があったり、新たに知ることができたり、見ることができたり、街を感じることができて、なかなか良いものだ。
FJ時事新聞 社長 江東良一 伊予松山城(愛媛県松山市)~FJ時事新聞おすすめ名城~
今回FJ時事新聞が自信を持っておすすめする名城は「現存12天守」(※)の1つに数えられている伊予松山城だ。
松山城といっても通じるのだが、備中松山城や武蔵松山城と混同しないために、伊予松山城ともいわれており、金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)の別名もある。
日本三大平山城にも数えられ、国指定史跡にもなっている伊予松山城は、関ヶ原の戦いで功績のあった加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城し、その後、蒲生氏~松平氏へと受け継がれた。
あまり専門的なことを並べても、「ああ、そう」で受け流されてしまうだろうから、とにかく写真を載せよう。
まずは伊予松山城の案内図(≒縄張図)。
筆者は搦手口山道終点付近(写真の「現在地」)の駐車場にレンタカーを駐め、伊予松山城三之丸(堀之内)の松山市民会館方面から入城。
筆者の場合、城巡りの際に決めている自分なりのルールがあって、大手側(正面玄関)から入城し、搦手(退却口・出口・裏口)から退城するようにしている。
その方が、城に攻め込む感覚や、城から退く感覚を味わえるような気がするし、反対廻りでなく正式な廻りだと思うので、このルールを実践している。
この枡形状の石垣は槻門跡。
勢いよく攻め手が飛び込んできても、この枡形で方向転換を余儀なくされ、勢いが弱まる。
大手門跡前の石垣だ。
写真左手にいるのは中国からの観光客の男性で、この人と伊予松山城の石垣を見比べることで、建設重機のなかった時代でこれだけのものを築けた凄さがあらためて実感できるかと。
大手門跡を過ぎると、視界が開け、松山市街を眼下におさめることができる。
戸無門も撮影スポットで有名。
誰でも簡単にパースペクティブな写真が撮れる。
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下の写真の門は筒井門で、木目の暖色系色と、石垣のグレーが見事な調和を保ち、戦闘施設なのに柔和な感覚にさせてくれる。
そしてついに本丸に突入!
伊予松山城の天守は分類上「連立式天守」と呼ばれる構造で、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結している。
あいにく筆者が訪れた時は年末に近かったこともあり、大掃除のため天守へ登城できなかった。
打込み接ぎ(うちこみはぎ)と呼ばれる石垣の積み方がなされており、石垣の端の稜線がきれいな湾曲を形作っている。
本丸から搦手方面に向かうと、乾一ノ門跡に達する。
乾一ノ門跡を潜り抜けると、見事に横一列に連なる乾門東続櫓の石垣を目にすることができる。
最後に乾櫓を見届ける。
この後は搦手口の山道となる。
以上初心者でもわかりやすい写真を選んで紹介したが、もっと細かく観てみたい人は、伊予松山城に登城することをおすすめする。
■伊予松山城
http://www.matsuyamajo.jp/
■松山市ホームページ 松山城
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/matsuyamajo/
※現存12天守:江戸時代以前に建造された天守を持つ城が12城現存しており、それら12城を総称し「現存12天守」という。
FJ時事新聞 社長 江東良一 武蔵野の古刹・平林寺(埼玉県新座市)
武蔵野の面影を色濃く残す古刹・平林寺をご紹介しよう。
平林寺の創建は今からおよそ650年程前の南北朝時代の永和元年(1375年)、武蔵野国埼玉群(むさしのこくさきたまぐん。現・さいたま市岩槻区)に大田備州太守春桂蘊沢(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたく)が開基したと伝えられている臨済宗の寺院だ。
江戸時代の寛文3年(1663年)、江戸幕府老中であり、後に川越藩主となった「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)の遺言により、岩槻から現在の新座市野火止(のびとめ)に移転された。
13万坪以上に及ぶ平林寺境内の雑木林は、武蔵野の面影を色濃く残す貴重な文化財として昭和43年(1968年)、国指定天然記念物に指定された。
この広大な平林寺境内の雑木林は、前述の国指定天然記念物であると同時に、東京圏で最大のカラスのねぐらとなっており、2002年の古いデータでは9800羽のカラスがいるとのこと。
ということで、平林寺についての説明は終わりにして、実際に足を踏み入れてみよう。
平林寺境内に入るための門が総門だ。
この総門はそんなに古く見えないことから、大したことないと思いきや、県指定有形文化財に指定されている。
この総門脇に受付があるので、大人500円を払い、チケットとパンフレットをもらって入ろう。
境内に入るとすぐ左手に「平林寺境内案内図」があるので、ここで建物や境内を軽く頭の中に入れるのもよし、頭の中に入れずに先ほどもらったパンフレットを頼りに境内を回るのもよし、どちらでも構わない。
総門から真っ直ぐに歩くと、真正面に現れるのが築350年の山門で、江戸時代前期、岩槻からの移転時に移築された。
[caption id="attachment_37337" align="aligncenter" width="700"]平林寺山門から総門を見る[/caption]
平林寺といえば、必ずこの山門がシンボルとして使われ、この山門も県指定有形文化財だ。
山門右手には鐘楼があるのだが、手前に柵があり、近くまで立ち入れないようになっている。
山門を潜ると、次に視界に入ってくるのが立派な茅葺屋根の仏殿だ。
この仏殿もやはり県指定有形文化財だ。
案内図通りなら、この仏殿の奥は本堂があるのだが、コースの指示板は左手に回避するようになっている。
なぜ左手に迂回するようなコースになっているのかというと、本堂は現在立ち入り禁止で、一般公開されていないからだ。
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なので、そのままコースの指示板に従い、仏殿左手に迂回するコースを歩く。
迂回してすぐに橙色の錦鯉がピチピチ泳いでる放生池が現れる。
冒頭の説明でもあるように、武蔵野の面影を色濃く残す雑木林が特色の境内なので、その雑木林を見ながら歩みを進めていく。
途中、枯れ気味の野火止用水とそれにかかる橋を渡り、松平伊豆守信綱夫妻の墓地にたどり着く。
[caption id="attachment_37346" align="aligncenter" width="700"]松平伊豆守信綱夫妻の墓地[/caption]
松平伊豆守信綱は、側近の柳沢吉保に命じて、この武蔵野を開墾した人物だが、歴史的には島原の乱を平定した幕府の重鎮として有名だ。
引き続き武蔵野の雑木林の中を歩くと、野火止塚があったり、竹林があったりで、東京都練馬区に隣接している市とは思えぬくらいの盛り沢山な自然に触れることができる。
残念ながら参拝はできなかったが、武蔵野の自然に戯れたい人や、都会に飽々した人には訪れてもらいたいスポットだ。
■臨済宗妙心寺派 平林寺
http://www.heirinji.or.jp/
※料金は2018年1月現在のもの